メディア- ラジオ
概要

  1920年、商業ラジオ放送の開始によって、米国の家庭に直接情報や娯楽の発信源が持ち込まれることになった。フランクリン・ルーズベルト大統領は、コミュニケーション手段としてのラジオの有用性を理解していた。彼の“炉辺談話”のおかげで、国民は大恐慌の間の経済発展や第2次世界大戦中における軍の作戦行動にも通じていることができた。

  第2次世界大戦後、テレビが広く普及したことで、ラジオ局の経営者はラジオ番組を再考せざるを得なくなった。ラジオはドラマやコメディー、バラエティー番組などではテレビの視覚効果に対抗できず、多くのラジオ局がニュースや特集とレコーディング済みの音楽を組み合わせた番組構成に転換を図った。1950年代に始まり、ラジオは米国製自動車の標準装備品になっていった。米国の通勤者が職場に向かう途中、カーラジオのスィッチを入れてくれるおかげで、ラジオは再生の機会に恵まれた。

  FMラジオ―AMラジオと比べて音質では優るが、周波数帯域が狭い―の拡がりは、1970年代から1980年代にかけて、ラジオ番組の分断を招いた。FMが番組の音楽面を独占し、一方、AMは主にニュース専門ならびにトーク構成へと移行していった。

  25年前にはほとんど存在しなかったが、ラジオのトーク番組は普通、ホストと有名人または何らかの専門家、そして放送中に視聴者が電話を入れて質問し意見を述べる機会を売り物にしている。視聴者参加型番組は、今では全米10,000の商業ラジオ局のうち、ほぼ1,000局で放送されている。

  テレビの重要性にも拘わらず、ラジオの広がりもいまだ目覚しい。1994年時点で、米国の99%の家庭に少なくとも1台ラジオがあり、平均では1世帯当たり5台となっていた。10,000の商業ラジオ局に加え、米国には1, 400以上の公共ラジオ局が存在する。これらの大半は、教育が目的の大学やその他の公共機関によって運営されており、公共の基金や民間の寄付による資金助成を受けている。1991年には、1200万人以上の米国人が、ワシントンD.C.に本部を置く、全国的な非営利団体ナショナル・パブリック・ラジオに加盟する430の公共ラジオ局の放送を毎週聴いていた。

-- 米国国務省国際情報プログラム室出版物およびその他の政府刊行物より --
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