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どのような社会も、教育制度の本質と目的に関する根本的な問題に取り組まなければならないが、米国は民主主義の国として、この課題に正面から取り組んだ最初の国である。
米国民は早い段階から、自由な国民として、自分たちの将来は自らの英知と判断を拠り所にすべきであり、どこか遠くにいる支配者に託すべきではないことを理解していた。そのため、教育の質的水準やその性格、また経費をどのように確保するかという問題は、建国以来、国家の中心的な関心事であった。
保育園から最先端の研究機関に至るまで、米国にはあらゆる種類の、そして規模を異にする数多くの教育機関がある。公立学校は、政府機関の中でも最も国民に親しまれてきた組織である。学校がある地域社会が貧しくても豊かでも、また都市部にあっても地方にあっても、公立学校は合衆国の全域で共通の基盤となっている。
米国の学校は公立であれ私立であれ、2世紀前の創設から今日に至るまで、米国人のアイデンティティを築き上げてきた。今日の米国の特徴を形成する国全体の経験のひとつひとつが、教室の中で展開されてきた。つまり、人種問題や少数派集団への対応、移民や都市の発展、西部への拡大と経済成長、個人の自 由、そして地域社会の本来の姿というようなテーマである。
19世紀初頭の「コモンスクール」運動から、今日の学力水準や試験に関する論争に至るまで、米国における教育の目的と方法に関する基本的な問題は、公開の場で盛んに議論されてきた。
ワシントン州でインターナショナル・バカロレア・コースの理科授業で質問に答える生徒(Elizabeth
Armstrong/The Herald/AP images) |
学校は、読み書きや数学といった基礎学力に力を入れるべきなのか。それとも教養や科学の分野で幅広い教育を行うべきか。学校はどのようにすればすべての人々に平等な機会を提供しつつ、高い学力水準を保つことができるのか。学校の経費は誰が払うべきか、親か、あるいは国民なのか。学校は実践的な職業技能に集中すべきか、それとも大学で成果をあげるために必要な教養科目をすべての児童に教えるべきなのか。異なる文化、民族、宗教的な背景を持つ児童に対して、教師はどのようにして道徳的・精神的価値観を身につけさせるべきなのか。名門大学への入学を目指す生徒を選抜する際に、中等教育過程ではどのような基準を用いるべきか。
こうした疑問への回答は容易ではない。実際、米国の学校はこれまでの国の歴史において、そのときどきに応じて異なる形で対応してきた。現在でもなお、過去と同じように、教育は活発な議論の対象となっており、急速に変化しながらも揺るぎない価値を保ち続けている。
出典:USA Education in Brief
*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。
[在日米国大使館のサイト掲載日:6/8/2010 更新日:9/6/2012]