メディア- 雑誌
概要

  米国で最初に雑誌が出現したのは、新聞が初めて出版され、多くの読者層を獲得して、なお長い時間を経た半世紀後のことである。ロンドン出身の印刷業者であるアンドルー・ブラッドフォードが米国で最初の雑誌を1741年2月13日にフィラデルフィアで出版したが、3カ月しか持たなかった。152年後の1893年、最初の大部数発行の雑誌が、当時10セントで売り出された。フランク A. マンシー、サイラス・カーティス、エドワード・ボック、そしてS.S. マクルーアが米国の出版の黄金時代といわれる1890年代から1930年代に、低価格の雑誌で大量の読者を獲得するために競争しあった有力な出版者であった。

  1923年、ヘンリー・ルースは週刊のニュースマガジンという概念を編み出し、タイムを創刊した。タイムとその主要な競合相手であるニューズウイークは、国内・外の動きに関する綿密な分析よって、次第に重要な分野を切り拓いていった。テレビの登場は、米国の主要な大部数発行誌の一部の没落をもたらし、それらの雑誌は1950年代から1960年代にかけて、徐々にその新たなメディアに広告収入を奪われていった。

  雑誌の発行者は、広く一般の読者を対象にするのではなく、次第に特徴の明確な読者対象にアピールするようになった。テニス、アンティーク、トレーラー生活、鉄道模型など、ほとんどありとあらゆる題材の雑誌が急速に広まっている。コンピュータ技術のおかげで出版社は、必ずしも少数とは言えない特殊な趣味の読者をターゲットにすることが可能になった。

  1993年9月、タイムは読者にオンライン版を提供する最初の雑誌になった。これにより読者は、タイム誌が雑誌スタンドに並ぶ前に、当該号をコンピュータ画面に呼び出して見ることができる。「タイム・オンライン」を通して読者は編集社や記者と交流し、電子的に編集者とアイデアや手紙をやりとりすることができる。

  タイム、ニューズウイーク、その他にも米国の数誌が、地域の特性に合わせて特別な国際版を発行している。コスモポリタンは70カ国で発行され、ヴォーグには何年もの海外の熱心なファンがいる。1990年には、2900万人の予約購読者のうち1200万人以上が米国外に暮らす人達だった。同じ年、レディーズホームジャーナルも32ページに及ぶロシアの折り込み入り特別号を発行しモスクワで10000部が売れた。

  1919年に創設された米国雑誌協会は、雑誌業界の主要なスポークスマンとして活動を続け、一方、1963年に設立された米国雑誌編集者協会は、雑誌編集者のための主要フォーラムの役割を果たしている。

フレデリック・A・エマートは米国広報文化・交流庁(USIA)の外交官として25年間の勤務中に米国や海外メディアを観察し協力して職務に当たったが、それにはラテンアメリカやヨーロッパ、ワシントンD.C.の広報活動が含まれる。

-- 「1990年代の米国のプリントメディア」フレデリック・エマート、米国国務省国際情報プログラム室出版物より --
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[Last Updated: 7/27/2010]
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