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Marine Corps Air Station Iwakuni, Japan

米海兵隊岩国航空基地司令

ジェームズ C. スチュワート大佐Station's CO

スチュワート大佐は米海軍士官学校の数学課を卒業し1988年5月に少尉となる。初等学校卒業後、ペンサコーラ海軍航空基地で飛行訓練を受け、1989年4月に海軍飛行士官に任命される。

EA-6B機の電子戦士官としての初等訓練終了後、1991年8月に第2戦術電子戦攻撃中隊(DetX-Ray)に所属となる。その後3年間は、第1戦術電子戦隊に所属し、展開プログラムの一環で、米海兵隊岩国航空基地に2度派遣される。1994年11月、第4戦術電子戦闘攻撃中隊と第332全天候戦闘攻撃中隊に所属し、ボスニア・ヘルツェゴビナで行われたNATO空爆作戦の支援のため展開されたデナイ フライトとディサイシブ エンデバーの運用に関わる。

1995年3月、スチュワート大尉は第1海兵隊飛行武器戦術中隊に所属となり、EA-6B機の教官と航空開発・戦術・審査部の電子戦調整官を兼任する。1998年6月スチュワート少佐は第2戦術電子戦攻撃中隊電子戦闘部の部長としてノースカロライナ州チェリーポイント市に戻る。

1999年2月、セルビア・モンテネグロでのNATOの空中戦闘を支援し、ALLIED FORCE作戦に参加するため、イタリアにあるアビノ航空基地に派遣される。2001年7月スチュワート少佐は海軍大学の指揮幕僚課程の生徒としてロードアイランド州のニューポート市に転属。2002年に安全保障学の修士号を取得、優秀な成績で卒業する。

スチュワート少佐は米海兵隊司令部の航空部で2002年から2004年まで勤務する。その間、電子戦術調整官として、EA-6Bの機体の維持と改良、またEA-6Bの運用の展開に携わる。

スチュワート中佐は2004年7月から2006年6月まで、米海兵隊岩国航空基地司令部司令中隊の司令官を務める。その間、インドネシア、タイ、フィリピンなどに展開し、人道支援や災害救援活動を行う。

2006年6月、スチュワート中佐はドイツ、シュトゥットガルト市の在欧州米軍司令部に転属する。その間、米国、NATO、また協力国の支援として、有事計画や長期軍事行動計画の指揮をとる。2009年7月に大佐に昇進。海兵隊本部航空人事支援部に指揮官として従事する。

授与された勲章として、勲功章、防衛勲功記章、金星が2つ付いた勲功記章、金星と戦闘V字の付いた航空英雄勲章、3の数字が付いた航空攻撃飛行章、統合軍称揚章2回、金星が付いた海軍海兵隊称揚章、海軍海兵隊功績章が含まれる。EA-6B機及びUC-12F機の無事故飛行2500時間以上の記録を持つ。